2児のパパスイマーの“継続は力なり”!

マスターズ水泳歴12年。短時間で効率良い練習を日々研究。-理学療法士からの視点を踏まえて-

マスターズ水泳のための練習58 ~為末大さんに学ぶ練習と本番の心得:勝負は一本勝負~

どうもパパかっぱです。

 

昨日は仕事が休みで時間がいつもよりとれた+大会10日前ということで、休憩をかなり多めに入れて、ダッシュを1本1本集中して行いました。

 

 

アップ 200

スイム(Fr) 100×2(2”00)

   (Fly) 100×2(3”00)

ボードキック(Fly) 50×2(1”10)

ドルフィン(フィンなし) 50×2(1”10)

EASY 100

ダッシュ(Fly) 50×4(4”00)

ダッシュ(Fly) 25×4(3”00)

ダウン 100

計1300m 時間:約50分

 

 

私のマスターズ水泳の大原則として、『短時間・効率的』というのをテーマにして行っております。

 

無駄な練習は極力省きます

 

練習の最後に行うダッシュ(Allout)のためにその日の練習をしているイメージです。

 

 

極端な話

 

アップ(200m)

ダッシュ(50×2本)

終了

<約10分、計300m>

 

でも良いと本気で思ってます。

 

 

為末大さんのツイッターでとても興味深いツイートを見つけました。

 

 

 

為末大さんに学ぶ練習の心得

 

 

 

Dai Tamesue (為末大) (@daijapan) | Twitter

 

A

『日本はスピードが遅すぎる印象がある。特にミドルスピードの練習を繰り返すことが多いが、これは私の経験上悪影響が多かった。こういった練習は体感的にとても辛いので強くなった気がするが、実際には何本も繰り返すことに対して強くなっているだけで、一本で勝負が決まる試合時には使えない強さだった。』

 

 B

『辛さだけを指標にしてきた選手はほぼのびとまる。量に限界がきたところで質をあげなければならない。しかし、質への移行時期には必ず体感的に辛さが減少する。辛さで成長してきた選手はこの質への転換時期に不安に耐えきれなくなり、辛い練習に戻っていき、大体同じレベルをぐるぐる回ることになる。』

 

 

 

 

 

A “一本で勝負が決まる試合”のための練習を

 

世界の舞台で戦っていた人がおっしゃっていると説得力ありますよね。

 

『実際には何本も繰り返すことに対して強くなっているだけで、一本で勝負が決まる試合時には使えない強さだった。』

 

ってめちゃくちゃ心に響きました。

と同時に、あながち私がやっている練習は間違っていないのではないかな、と少しだけ自信にもなりました。

 

つまり、練習の中でも『一本勝負』として行わなければいけないということですね。

いかに最後のダッシュの密度を濃くするかですね。

 

私はテーパー(調整)というものをあまりしません。

 

www.papakappa-swim.com

 

普段の練習から一本勝負の意識を持っておけば、いつ本番が来ても大丈夫なんじゃないか、というのが私の考えですかね。

 

以前も書きましたが、急にマスターズ水泳協会メールが来て「予定変更で急遽、明日マスターズ大会になりました。」となったとしても、ほとんどタイムに影響ないんじゃないかな、と思ってます。

現実そんなことはないですけどね(笑)

 

まぁ家庭の事情等々あり、それだけ練習量もしていないし、時間もそれほどかけれないというのが本当の理由なんですけどね。

 

少しでも共感が得られれば幸いです。

 

 

B 練習の量より質へ

 

『辛さだけを指標にしてきた選手はほぼのびとまる。量に限界がきたところで質をあげなければならない。』

 

という言葉もすごい腑に落ちました。

 

私も小学6年生まで超スパルタの某スイミングスクールの選手コースでただただ辛い練習をさせられていました。

暴力OKの時代(?)だったので、殴られながらただただ泳いでいました。

殴られないためには速くなるしかないんですよね。

今思えばすごい理論ですね(笑)

 

みなそれなりに速くはなったのですが、中学生や高校生とかになると、辞めていくか伸び悩む人たちが多かった印象があります。

私も中学生になるときに辞めました。

水泳嫌いになってましたからね。

 

中学生以上になり自我が芽生えてくると『やらされている練習』には限界が来るんですよね、きっと。

反発したくなる年頃ですし。

なので、私は子供には好きなスポーツをやってほしいと思っています。

 

 

ちょっと話が逸れましたが、マスターズ水泳の練習でも

『辛い練習をした → 速くなるだろう』

では全然ないってことですね。

 

なぜ速くならないかを、しっかりと分析して、足りないところを練習すべきです。

なぜ今この練習をしているか。

 

個人的には、量はそれほど必要ないと思っています。

私は短距離選手なので、長距離については分かりませんが・・・。

 

 

これリハビリでも一緒です。

よくありがちな“やった感”があったほうが満足度はあがるかもしれませんが、それで動きの質や動作が改善したかは比例しないと思ってます。

 

立ち上がりをできない人が、一万回立ち上がり練習をただ繰り返したところで、求める立ち上がりをすることはできないと思うんですよね。

 

なぜ立ち上がれないかを考察して、その要素(コンポーネント)を治療しなきゃ変わらないですよね。

 

勉強も一緒で、ただただ身にならない勉強を何時間もしてても治療はうまくなりません。

勉強のやり方を間違っている可能性もあります。

 

勉強会にいくら数多く行ったとて、そこで何を得て、どう自分で咀嚼して臨床に活かすか、と自分で考えれる人じゃないと成長しないですよね。

 

若いセラピストにあるあるですけどね。

とにかく勉強会に出て、それだけで満足しているという。

 

仮説ですけど、

 ●臨床で出来ていない自分に焦る 

 →特に自分で勉強もしない

 →勉強会に出ることで“自分は勉強している”という満足感を得る

 

という防衛機制みたいなものなんじゃないかな、と勝手に思っています。

一種の『合理化』なんですかね?

 

まぁ1~3年目くらいはそれでもいいと思いますけどね。

外にはこんな世界もあるのか、と色々知った方が良いですからね。

 

水泳でも仕事でも『Why?Why?Why?』って永遠と考えていくことが大事ですね。

 

実際、練習の量を減らすってかなり勇気のいることだと思うんですよね。

考え方の根本から変えなきゃいけないですからね。

 

もし伸び悩んでいる人がいたら、試してみる価値はあると思います。

 

 

まとめ

 

一本勝負に対応できる普段の練習を考えていきましょう。

 

勇気を持って『量より質』のマインドを持ってみてはいかがでしょうか。

 

 

では。